食品の安全性に関心が高まっている。いや、関心が高まっていると言うより、不安が増大している、というのが現状だろう。このところ「食の安全」に関するニュースがほとんど間断なく報道されているのだから、当然の成り行きであろう。
 食べものが安心して食べられることは基本中の基本であるから、食品への関心が高まりいい加減なものがなくなることは大変よいことである。伝統食品である味噌も、従来からの観念に甘んじることなく、時代の要請に応えていかねばならないことを強く感じているところである。
 しかし、現在の消費者が感じている感覚の中には、マスコミ各社の報道のままに作り上げられてしまった、必ずしも正しくない部分もあるように思う。
「食品会社は何かごまかしている」「企業は消費者の安全より利益の方が優先だ」といった論調は、知らないうちに消費者の頭の中にある種の常識のように定着してしまったのではないだろうか。
企業といえども、個人と同じようにミスもすれば思い違いもする。食品を事業とするものとして責任が重大であることには違いないが、その責任も無限に負うことは現実としてはできない。理屈はそうであっても、その通りに出来ないことは実際にはいくらもある。
それを、いささかのミスも許さず追求し、謝罪させ、損害を出させ、痛めつけることをもって手柄とするような報道姿勢の先に、安心して暮らせる幸せな社会はあるのだろうか。
 針小を棒大として記事とし、人の不幸もゴシップも報じて番組とするものが、あるとき正義の旗手となっていることに、注意をせねばならないと思う。
 報道情報だけに振り回され惑わされることなく、自らの食の安全は自らの責任によって確保するという気概を持たねばならぬ時代になってきた。