「塩は健康に悪い」この一見あたり前で「常識」の様にいわれていることに味噌の立場から「本当にそうか?」と疑問を提出するのがこのシリーズのねらいであった。「誰が」「いつ」「どんな風に」摂っても「塩」でありさえすれば「健康に害をおよぼす」とする考え方に反対するものであった。

情報化社会の利便性は一方である決めつけ、思い込みを短期間に社会的常識としてしまう危険性をはらんでいる。一度貼られたレッテルはその詳細な説明や根拠、いわれや範囲などを一切無視した軽薄で盲目的な形で固定化定着してしまいやすい。誰も反論できない、一度いわれれば誰もが気になる「からだに悪い」ということ。生活レベルが上がり余暇ができ人々の興味が「健康でありつつけること」に集まってくれば「何よりも身体が大事」となるのは当然の事である。

がしかしである。「健康」は人生にとって必要不可欠な要素には違いないが、人生の目的そのものではない。「健康に生きて何をするか」が「その人の人生であり目的であるからである。その目標を彩る、衣食住、趣味嗜好、内面生活があり、それを支えるのが体の健全さ、すなわち「健康」なのだという関係である。加えていうなら「国民1年間の読書量はなん冊が標準です」という尺度で教養は量れない。様々要素が多すぎて「本一冊」がどのように「その人」に影響を与えるか、を計量することは出来ない。

食品分析化学の発達は食物を「成分の集合物」のような錯覚をもたらす。ひいては子供の食事に1日1回「カロリーメイト」をかかさない、といった宇宙科学的発想のインテリ母親も登場し、自慢げである。「わが家は毎日最大塩分摂取量8g以下を厳守しています!」それもいい。慣れてさえしまえばそれまでだろう。しかしここに出てくる「毎日」「厳守」の類は病人でもない、ましてある目的をもって飼育されているもない一般の家庭人の食卓には本来馴染まない。

話はとぶが、「味噌がガンに効く」といった記事が近年新聞紙上をにぎわした。疫学的に味噌汁を食べる家庭と食べない家庭とでは発ガン(胃がん)率に明確な差があるそうである。ここで例によって「味噌には抗がん性物質が含まれている」という話をするのではない。食卓に味噌汁が登場する食生活スタイル、あたたかいもの、食事の時間に合わせて用意されたものが並び皆が顔を合わせて食べる食事。これといったご馳走はないが「あたりまえ」の安心感のある食卓。「抗胃がん性」はこういった「食のスタイル」にこそ含まれているのではなかろうか。時には食べ過ぎたり、あるいは食べ足りなかったりする。それを許容する「おおらかさ」が家庭の食生活には欠かせない。少し前までは食べ物の成分を「なんグラムまで」などと指し示すことはなかった。ただ年寄りが「腹八分目だ」とか「馬鹿の三杯汁」とか言って戒めた。そうして生きてきて今平均寿命を上にひっぱり上げている人たちは立派に長寿国日本の記録を支えてくれている。

死亡原因一位の脳卒中を減らすことは、それによって人が永久に死ななくなることではない。「死」が人に与えられた運命であるならそれまでの時間稼ぎを目的化するようなことはつまらない。心豊かに自然に振舞う昔からの知恵に、現代科学が無機質なトゲをさすことが無いことを祈りたい。

誌面が尽きた。連載の最後にあたって申し上げたい。夏の朝、目覚めとともに香ってくる「茄子とミョウガの味噌汁」の香り。これに思わず1.5gのうしろめたさを感じること、これがまさしく不健康なのだと。(完)