21代目社長と社員でつくる! 400年の発酵屋ブログ
2024.3.12

心のふるさと「味噌おにぎり」の物語

こんにちは、ペディオ大好きむっちゃんです。

皆さんには“心のふるさと”と呼べる料理はありますか?

「母の味」の言葉通り、煮物やカレー、唐揚げといった、お母さんが作った家庭料理は代表的かもしれませんね。栃木県なら、しもつかれ、さがんぼの煮つけ、耳うどんなど郷土料理を挙げる方も多いかと思います。

 

私にとっての“心のふるさと”料理。それは、味噌おにぎりです。

弁当屋の仕事が忙しい母に変わって、幼いころの私の面倒を見てくれたのは、大正生まれの祖父でした。

「味噌にぎり食べっか?」

おなかをすかせた私に、祖父はいつもそう言って味噌樽を取り出し、曲がった指で味噌のおにぎりをにぎってくれました。見た目はきれいとはいえない、いびつなおにぎり。それでも、味噌がついた指までなめるおいしさでした。

私にとっての味噌おにぎりは、なつかしく、そして愛おしい記憶の一場面を手繰りよせてくれる大切な食べ物なのです。

◇    ◇    ◇

味噌おにぎりを「特別」だという方が、もう一人いらっしゃいます。「味噌おにぎりは、私の命の“恩人”」と話す、60代の佐藤美幸さん=宇都宮市在住=です。

小さな体重で生まれ、病弱な幼少期を過ごした佐藤さんは、8歳のころ、生死をさまようほどの重い病に見舞われました。口に含めば、わずかな水分でも嘔吐してしまい、飲まず食わずの状態が1週間も続いたそうです。

往診に来た医師から「数日が峠」と告げられた夜、佐藤さんのお母さんは枕元で必死に語りかけました。「食べたいものは、なに?」「なんでもいいから、なんでもいいから」

佐藤さんが夢うつつで口にした言葉は―。
「みそ…おにぎり…」

「味噌にぎり?味噌にぎりでいいの?」。お母さんは、すぐさま味噌おにぎりを作ってきて佐藤さんの口元に近づけました。ひとくち、ふたくち…。「もういい。おいしかった」。すると、翌日から嘔吐が治まり、食事も少しずつ口にできるようになったのです。

「味噌の中にいる麹菌が、私の体を戻してくれたのかもしれない」と佐藤さん。「どうしてあの時、味噌おにぎりと言ったのか分からない。ご先祖さまが私を守るために言わせてくれたのではないかと思っています」

 

佐藤さんに、あの日、お母さんが握ってくれた味噌おにぎりを再現してもらいました。


画家の山下清を描いたドラマで見たような、おにぎり。お母さんの愛情も一緒に込められていた大きな、大きな味噌おにぎりでした。

◇    ◇    ◇

日本の味噌の歴史は1300年。幾代にもわたって食べ継がれてきた理由には、栄養豊富であることや機能性・保存性に優れていることなど、さまざまな側面があります。
そして、もう一つ。古くから日本人の健康を支え、日本人の食卓に欠かせなかった味噌は、家族を思いやる「愛情の証」として使われてきたことも、味噌の歴史を紡いできた大切な要素なのでしょう。

そこに味噌特有の温もりがあると感じています。

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