少し前になるが「ユッケ」をある飲食店で食べたことにより、重大な食中毒事故が起こったことがある。4人が死亡、他に意識不明で重体の方もいるという大事故である。
ニュースでは、生肉を食べる安全性についての議論や国の規制の責任にその矛先がいっているが、何か違うと思う。
「ユッケ」という食べ物は、朝鮮半島において永年食べ続けられている伝統食である。
日本に定着してからも多くの店で売られているポピュラーなメニューであり、その中で今回初めてこのような大事故が起きた。
この事件は、仕入先も含めこのような状態の食品を提供した会社に問題があることは明確で、なにも「ユッケという伝統食」に責任はないだろう。
本来、人が食べてきたものには常に一定のリスクがある。
食べ物というものはそうしたリスクを分散化、極小化しながら食べることによって、食料として食べ続けられてきたものである。
好き嫌いをしない、バランス良く食べる、食べ過ぎない、子供は食べない、高齢者は気を付けるなど、これらは食べ物のリスクとつきあうための知恵でもあった。
かなり挑戦的な食文化ともいえる「なれ鮨」や「クサヤ」、「フグの肝(きも)」などは、永い歴史はあるもののそれなりにリスキーな食べ物でもある。
しかし安全か否か、正しいか否かとは関係なく、それを食べる人がいる以上、そうした食べ物は淘汰されながらも受け継がれていく。それが文化である。
この事件が起きた店では、ユッケを一皿280円で出していたそうだが、ここにこそ根本的な問題がないか。食べ物に関しては、「良いものをドンドン安く」は、あり得ない。価格が高ければ必ず良いとは限らないが、本当に良いものであればある程度の値段はするものである。もしそれが常識外れに安ければなにか訳があると考えるのが正しい。被害者の方にはお気の毒だが、消費者の行き過ぎたデフレ志向もこうした事件を生んだ背景のひとつとして反省すべき点も多い。
いずれにしても、多様でおいしい日本の食べ物が、「絶対の安全安心」などという思考停止によって「法規制」という名の制約によって規格化され平準化され異質化されてしまうことが無いようにしたいものである。
捨てるのは容易いが、一度失われた食文化はもう二度と取り戻せなくなる。
「食」は人が繋がない限り、跡形もなく消滅してしまうものだからである。