風が吹き渡ると、カラカラカラと、乾いた音が鳴り響きます。
ここは大田原市にある大豆畑。夏、青々と伸び茂っていた葉や茎は茶色く乾き、大豆は収穫の時を迎えようとしていました。
「木がぽちっとぶっちょれる(折れる)ようになってから。今年は暑かったから、豆の水分が落ちない。冷たい風が吹き始める11月末から12月くらいになっかな」。農家の助川昇さん(74)は、そう言うと、摘み取ったさやを指で割り、こぼれた大豆を手の平にのせました。
ぷっくりと膨らんだ黄金色のまあるい玉。
「けっこう、いい実ついてるでしょう」
助川さんは、栄養分の高い豚糞を混ぜた自家製たい肥を使うなどし「体力のある土」づくりに力を入れています。「全てを土につぎこんでっから」。おいしい大豆をつくるには、土が重要だと、熱く語ります。
丹精込めて育てた自慢の大豆。「夏に枝豆で食べたら甘かった。今年も甘さは十分だ」とうなずくと、「いいものをつくる。それが一番の喜び」と目じりを下げ、この日一番の笑顔を浮かべました。
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かつて「大俵」だったという大田原市。肥沃な土壌が広がる米どころの地で、青源は3軒の農家と大豆の専属契約を結んでいます。栽培品種は「里のほほえみ」。大粒の割合が9割と高く、高蛋白で、味噌との相性も良い大豆です。
「里のほほえみは甘みの強さが特徴。うちでは酢大豆にしたり、呉汁(ごじる)にしたりして食べているよ」。そう紹介してくれたのは、同じく専属契約を結ぶ川瀬光男さん(71)。呉汁とは大豆を水に浸し、すりつぶしたものを味噌汁に入れて食べる郷土料理です。
川瀬さんが管理している畑は15カ所もあり、記録的な暑さが続いた今年は「草との戦いだった」。大豆を守るため、連日、汗を流しました。
「天候の影響を大きく受けるから、苦労もあるが、一生懸命に栽培して、いい大豆ができた時はうれしい。それが味噌となって、おいしく食べてもらえると思うと、張り合いがあるね」。畑をゆっくりと見渡し、顔をほころばせました。
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木が生い茂る坂道を車で登り、高台に降り立つと、そこには、見渡す限りの大豆畑。まるで、大田原に小さな北海道を見つけたみたい。
渡邉剣太さん(46)は実家の農業を継ぐために20年続けた建設業の仕事を辞め、4年前、大豆栽培への挑戦を始めました。「以前は建物に携わっていたけれど、大豆は生き物じゃないですか。無機物から有機物へ。経験が通じないので、新鮮で面白い」
どうしたら、いい大豆がつくれるか—。肥料のこと、大豆成分のこと。父のアドバイスを受けながら、勉強と模索の日々が続きます。
そうした中、新たに土地を開墾し、栽培面積の拡大にも踏み切りました。「これから、さらに生産量を増やしていきたい」。思いは膨らみます。
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11月6日、青源の青木敬信代表とともに大田原の契約農家を訪ねました。
3軒の農家に生産していただいている大豆は、青源本店で開かれる味噌造り教室のほか、最高級味噌の原料としても使用されています。
筆者は日ごろから、教室で使用される蒸した大豆の甘さ、おいしさに感動していましたが、実際に生産者の方と対話し、畑を見学するのは初めて。圃場管理の苦労や自然相手の難しさを痛感するとともに、「おいしい大豆を届けたい」と春夏秋冬、大地に立ち続ける、生産者のひたむきな思いと、大豆への愛情に触れることができました。
味噌。そこには、さまざまな「思い」が折り重なるように込められています。良い大豆をつくろうと、自然と向き合い、心血を注ぐ「生産者の思い」、微生物の働きを見守りながら、おいしい味噌ができるようにと祈る「造り手の思い」、そして、自らや大切な人の健康を願い、味噌を求める「消費者の思い」-。
改めて味噌という食べ物の魅力の大きさを感じています。