21代目社長と社員でつくる! 400年の発酵屋ブログ
2025.8.5

「種」という味噌について

 米問屋で創業して以来、いつから自家用の味噌を商売ものの味噌として売るようになったのかは定かではありません。おそらく江戸時代の中期頃と思われますが、青源は味噌屋となってから二度、味噌を仕込む「蔵」が全焼しています。一度目は江戸時代が終わる「戊辰の役」の戦で、宇都宮の城下は戦火で全焼しました。それから昭和20年7月12日、大東亜戦争の末期、宇都宮はアメリカ軍から大空襲を受け、下町を中心に市内の大半が焼失しました。それが二度目です。

 

 通常は火災になると建物はもとより、味噌屋にとって掛け替えのない「蔵付きの菌」が失なわれてしまいます。この菌は、その蔵でつくる味噌の味と風味を特徴づける大事な微生物なのです。実は、これが無くてもいちおう味噌はつくれます。見た目はほとんど変わりません。しかし、それは絶対に「青源の味噌」ではありません。味噌は人間がつくれるものではないからです。人間は原料を処理し、それらを混ぜ合わせることはできます。しかし、それは単なる混合物に過ぎず、それから先は微生物の働きで発酵が行われ、初めて「味噌」になるのです。

 

 前置きが長くなりました。そんな大事件が起きたときでも、そこで青源の味噌の伝統を守るべく活躍してくれていたのが青源の「種味噌」なのです。当社は味噌仕込みの際に大豆と糀と塩の他に、かならず「種味噌」を使います。種味噌の中には青源の味噌を造るために必要な微生物がワンセット含まれています。それが仕込みの時に加わることで、その味噌全体の発酵の方向性が定まります。

 

 火事で建物が全部焼けてしまっても、味噌は燃えないのです。150年前の戦の時も、80年前の空襲でも、味噌は死にませんでした。空襲の翌日、母親が重症を負ったという知らせに軍隊から戻った父が見た実家の焼け跡には、2棟の蔵とその周りにたくさんの真っ黒に焼けた小山のような味噌があったそうです。手で掘ってみると、まだ熱い焼けた黒い味噌の下には、いつもの見慣れた味噌がそのままありました。それを見て父は「まだやれるぞ!」と思ったそうです。「味噌は、燃えないんだよ」。亡くなった父が私にそう言ったときの声をいまもはっきり憶えています。「青源の種」は、そうして受け継がれてきました。

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