21代目社長と社員でつくる! 400年の発酵屋ブログ
2024.11.22

命の本質は「身土不二」にある

 「身土不二」とは、人間はもともと四里四方(しりしほう 片道4里、歩いて8時間程で往復できる範囲)の中で暮らし、そこに生える作物や木の実を食べ、時に魚や獣を食物として生きてきたものであるということを前提とする。

 

 そこで生まれ育ち、そこで所帯を持ち、子供を育てやがて死んでいく、そういう生きものの身体である「身」は、その地域の気候風土やそこで採れる食物などの食環境「土」とは、密接不可分であり分かち難いもの(不二)ということを現している。まさに持続可能な伝統的地域食文化によって人の身体はつくられてきたということである。

 

 20世紀後半、日本では戦後、経済の発展と同時進行で食の欧風化が進み、多くの便利な加工食品が  「進歩的な食文化」として日本人の食卓風景を席巻した。 
 近年は世界的な経済発展により農産物のグローバル化が進み、原材料や食材が地球の反対側からでもやってくることは当たり前となっている。農産物の産地巨大化は進み、生産の合理化を求めて森林破壊、過剰農薬、遺伝子組み換え作物転換などによる環境破壊は、地球規模でCO2増加の一因にもなっている。

 

 もはや日本国内のみならず「身土不二」とは真逆の食文化の大混乱が発生している。そしてそれと並行して人間の身体の中では、「混乱した食文化」との不適合が多発し拡大している。文明病のアレルギーなどの自己免疫疾患をはじめ様々な不快不定愁訴や鬱などのメンタル障害も、無菌的に加工された食品に安易に依存する食生活に起因するとは考えられないだろうか。

 

 食事は単なる栄養成分補給でもファッションでも祭りでもない。もっとおちついた一汁一菜に代表されるシンプルな手作りによる「ケの食卓」が求められている。それもできるだけ近くで採れたもの、旬の素材による食事を自前で作って食べることと、食事毎の栄養バランス、動物性蛋白質や脂質の摂取量に束縛されない日常の食卓が求められている。これこそが毎日がお祭り騒ぎの「ハレの食事」からの解放であり、身土不二の食の信条に叶う食事であり、身体が求めている安らぎの食である。

 

 極端ともいえる「身土分離」の時代のなかで、私たちの命の本質が地域の自然に根ざしたものであることに改めて気づくことは、意義のある大切なことだと思う。

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