味噌の不思議なところは、人が造るものではないところにある。
人が造らないで誰が造るかと言えば、もちろん「微生物」である。
人間には、大豆や米などの穀物を「味噌」というまったく別なものに変化させる力はない。
すべて目に見えないぐらいの微生物が、昼夜を分かたず、土日も休まず働き続ける結果として、味噌ができるのである。
「手造り味噌教室」の注目度が高い。「自分で造る楽しさ」「安心感」が人気のようである。
教室では、文字通り「誰にでも造れる」のがミソだから、「これだけでいいの?な~んだ、味噌なんか造るのはカンタン」という具合に思えてしまう。
どうやっても味噌はできてしまうだろう。
しかし、どういう味噌を造るのか、造る人が目指す味噌がどういうものなのか、というものがない味噌仕込みは、ただの「混ぜこね作業」でしかない。
味噌を造ろうとするものは、それを実現してくれる目に見えないものへの感謝の気持ちを欠いてはならない。
古の日本人から受け継いだすばらしい醸造の知恵と、それを支える目に見えないものへの畏れを持つこと、本来味噌造りはそういうものであった。