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味噌で健康 -その歴史と科学-(1)  2013年3月12日

三年程前に「塩と健康」というタイトルで連載を担当していたことがあった。
ちょうど時代が「塩は毒」=「味噌もそれを含む分だけ毒」といった論調にのっている時で、いわゆる初期の減塩運動がさかんな時であった。
一部のお医者さんは真顔で「みそ汁はこの際飲まないに越したことはない・・・」などと患者さんに薦めたりしていた頃でもあった。
おりからの健康ブームの時代の風に乗って、諸病の根元たる「塩」の摂取習慣を根本から減らすことが「正しいこと」と考えられていた。
むろんいまでも過剰な摂取が良いというはずは無く、その点には今も昔もない。
ただ最近は当初の「減塩」一本槍から「適塩」の指導といった、
いわば対象となるひと、一人一人に目を向けたものになってきていることは大きな進歩と言えるであろう。
「味噌」「醤油」「漬物」を称して「塩害三悪」などという一方的な決めつけも影をひそめ、
それぞれの食品の利害損失を冷静に評価しようという風潮が出てきていることも、
真面目に健康的な食生活を考えていこうとする人々にとって大いに喜ばしいことである。
こういった今の時代にあって「塩」=「悪」といった世評に反論した以前の講評に反論した以前の論評に一応終止符を打ち、
今回からは更に前向きに「味噌」=「健康」というテーマを全面に押し出した内容で新しい連載を載せていくことになった。
題して「味噌で健康~その歴史と科学~」という前代未聞の壮大なるタイトルとなった。
「歴史」といえば「味噌」はざっと千年以上前にさかのぼることができる。
もともとは大陸から伝わったものであるからその前身ともいえる「醤」(ジャン)の歴史まで、となれば更に人類文明の歴史とともに語られる程である。
が、それはそれとして我国において現在も使われている「味噌」の文字が初めて登場するのは「延喜元年(901)」に成立した『三代実録』の中においてである。
そのくらい古い。「古い」ということは、これまでの期間日本人に必要を認められ、重宝され受け継がれてきた、ということであって、
それも千年を越える時代の変化を乗り越える時代の変化を乗り越えて評価を受け続けてきた事実は簡単に無視することはできないことである。
これは単に「おいしいから―」といった程度のものではない『何か』があるからであり、
それを古人は知って子孫に受け継いできたものであるはずである。
近年急に「味噌が身体に良い」といったことが断片的に取り上げられ、マスコミに載るようになってきた。
こうしたことはおそらく「先人の知恵」の中にもともと含まれていたものではないか―、
またそれらの「言い伝え」の類に、科学的実証が付与されつつあるのが今の時代なのではないか―、
その様に考え、味噌に携わる者として情報を整理してお伝えしたいと考えた。
味噌のポテンシャルの高さとその奥の深さは、日本人の歴史の中で育まれてきた無形の財産なのである。
次回からの味噌の「食」としてのすばらしさを少しでも理解していただけるよう、稿を進めることにしたい。

世界中の食卓にときめきを 2012年8月22日

我が社には「経営ビジョン」というものがある。それは「世界中の食卓にときめきを持った味噌料理を登場させる」というものである。世界中、とは文字通り世界中に味噌を輸出したいということではなく、世界各国の料理に味噌で調味した新しい味付けのメニューを開発し、味噌によってより質の高い美味しい料理を提案したい、ということである。

味噌は、日本古来の独自の調味料である。ルーツは中国から伝わってきたもの、とはいうものの世界中に日本の味噌は日本にしかない。この味噌を世界各国の料理の味付けに活用できないか。いや、活用するにはどうしたらいいのかを研究し、開発して「なるほど味噌で味付けをするとこんなにおいしくなるのか」と新しい発見と感動を創り出したい、それが我が社の「夢」なのである。

今までもいろいろなものに取り組んできたが、最近のテーマはなんと言っても「餃子」である。餃子は中国の料理メニューとして知られている。日本では焼いて食べる「焼き餃子」が主流であるが、本場中国では、餃子は茹でて食べる「水餃子」が当たり前の食べ方である。

そこで、我が社の「うつのみやの水餃子」は、本場中国でおなじみの「水餃子」スタイルに対して、味噌で味付けした、「世界の食卓に・・・」の企業ビジョンの一環としてチャレンジした開発商品である。もし我が社の水餃子というところから想像される、いわゆる味噌汁の中に餃子が入っている、つまり「餃子の味噌汁」だったとしたら、それはお互いの特徴を高め合う良い関係にはならないだろう。

しかし、うつのみやの水餃子のスープ味噌は、ただの味噌ではない。「餃子」という別文化の世界の食べ物のために造られた新しい味噌である。はたして水餃子の世界に「ときめきをもって」迎えてもらえるかどうか、いま、この味噌を餃子と一緒に食べてくださっているお客様の声に、耳をすませているところである。

味噌屋、仕事を語る 2012年8月21日

「お味噌が好きでないと味噌屋は勤まらない。」

筆者が子供の頃、映画がとても嫌いな切符売りのおばさんがいたが、それはそれとして「仕事」と割り切っていくならば別に支障は無いように見える。しかし、味噌屋は違う。味噌屋は味噌が本当に好きではないとダメである。

「味噌が好き」というのには概ね2つの意味がある。1つは「味噌の味が好き」ということ。こういう方は、わりと、いや実にたくさんおいでになる。ありがたい話で、おかげで味噌屋は商売ができる。

もう1つは、「味噌の文化」が好き、ということである。味噌文化とは何だ?と思われるだろうが、この伝統的微生物発酵食品は、何百年もの間、日本人の暮らしの中にあった。その歴史の中でそれは単なる食品の一つということを超えて「味噌文化」ともいえるものを持っているのである。

日本人の食生活がいわゆる「一汁一菜」だった頃には、当たり前の調味料であった味噌は、いま全く別の価値観が支配する食卓の中で、別の意味を持つようになった。あらゆる国の食材や料理を日本の嗜好にマッチさせる調味料として、また慌ただしく貧しくなりがちな食生活のブレイクポイントとして、そして食事の中で日本人が日本を思い起こさせる重要な脇役としてと、味噌の果たしうる役割は味噌の文化に由来する、といえるのである。

こうした味噌の文化に心ときめいたり、新しい発見に感動したりできるから、「味噌屋」なのである。単なる「味噌つくり屋」や「味噌売り屋」は、激変する国民嗜好に振り回され、自ら何によって立っていたかを見失い、不確実な食文化の中に消えていく事になるだろう。

日本人の中にある「味噌」に共感し、その「文化」に共鳴し続けることが我々の仕事であり、そしてそれが「好き」だから「味噌屋」なのである。そしてそう考えられれば、これからも続けられると思うのである。

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